「経済戦争の終わりに、見直される江戸文化」と「教育は紙芝居では難しい」
アジアヒューマンサポートの民間外交とは、文化交流を通じ、他国の友好を深め、異なる価値観の多文化、多民族の社会を理解して、共存共栄を目指せる人材を創出する。
すなわち、共存共栄の文化はアジアの文化なのです。
また海外支援に行く事により、※非日常空間が、今までの常識や文化が通用しない為に、頭の中で「分解」と「解体」が始まります。
すなわち、「解」になり、いろいろな価値観が「解る」事になるのです。
価値観をカスタマイズして高めたり、いろいろな価値観が生まれます。
また価値観は違えど、価値観の高さの同じ人と縁ができるようになるのです。
ちなみに、ピースソングは大和心を表しています。
対立抗争を嫌う和の心、自国を大和とした、平和的な日常生活を望む女性の心が(天照大御神)大和心。
そして、外圧によりその平和的な日常生活が脅かされた時に、それを守る心、すなわち、そんな男性の心が大和魂なのです。
外圧は明治より始まり今年から段々とほどけて行く。
つまり経済の為の戦争が、そのうち先進国では「経済戦争」にかわり、「金融戦争」になりました。
そして「信用創造」して出来た紙幣を大量に産み出した事により、「情報空間」で造り出したデジタル数字を「物理空間」で使える紙幣を生む事になりました。
すなわち、無尽蔵に生み出せる、「情報空間」のお金で、限りある「物理空間」の資源やモノと交換してきた結果、ついに限度が来た!事になるのです。
それが「金融崩壊」が始まった事になるのです。
そもそも、モノ造りが出来ない、製造業もないアメリカが借金の上に出来た需要だけで、経済が回るはずはありません。
そのドルや債権や債券、そして証券はシンデレラの魔法のカボチャのように消えてなくなるでしょうね!
そしてモノの時代になるのです。現代風江戸化になります。
もともと、日本は黄金の国「ZIPANGジパング」と呼ばれ、金や銀が豊富にあり、東の銀座、西の金座と言われていました。
また金は魔除けにも使われ仏壇や食器に金箔が施されてあったのも珍しくありませんでした。
建物等にも金具として錆びないし丈夫で長持ちと重宝されていました。
それを西洋文化と共にやって来た加工しやすい「鉄」と「金」を悪いレートで交換されていったのです。
まさに、金を失うと書いて鉄になったのです。
樹齢千年の大木や何万年も かけて出来た石の素材で時間をかけて造るほうが、結果、長く持つのだけれど、インスタントに造り出した鉄や鉄骨、コンクリートになっていったのですね。
金貨や銀貨や米を中心にモノとモノとが交換されていました。自然のバランスは保たれ、超リサイクル文化でもありました。
いつしか、金貨も重いし、使いづらいと「金預かり所」ができて金貨と交換に「金預り証」を発行するようになり、それが紙幣になって銀行となり、預かる金の量を無視して、「金預り証」の発行を乱発したのでしょう。
「金」→「お金」となるのです。同じ漢字を使いますがホンモノではなく、紙切れです。
モノから紙切れを欲しがるようになっていったのですね。(┰_┰)
「神」を拝んでいた人達が紙幣「紙」を拝むようになったのです。 近年で言う「拝金主義者」ですね。
簡単便利だからといって、死骸の化石燃料で造り出したモノ(偽物)を魔法により使い、また欲しがり、いづれ鉄のように錆び、シルクとは程遠いナイロンにより自然が破壊され、紙幣は魔法がとけると(カラクリがばれる)、紙くずとなるのです。
空き缶のポイ捨てにより自然破壊した時から空き缶を拾うリサイクル活動が現代風江戸文化の一つであるように、
派遣社員や正社員も空き缶のように捨てられています。その人達に道を示したり、共存共栄や再教育のチャンスを与える事が、大事になるのです。
お互いに知恵を出し合って力をつけて行く事が相互扶助となるのです。現代風江戸文化の一つです。
今、世界的な相互扶助の精神と共存共栄が必要となるのです。
目の前の利害損得ではなく、その行為は好意として変化して地球を一周して予想も出来ない形として帰って来る。
自分たちの世代を超えて時には次元を超えて帰って来るのですが、反対に空き缶ポイ捨ては自然破壊につながり、汚染を自ら口にして、病気になるのです。
地球は自然と調和をとりながら、循環している事が解りますね。
ちなみに私達の考えるボランティアはお金があれば、できるモノではなく、通信教育でも身に付きません。
体感支援を通して時間をかけて学んで行くしかありません。
慈善事業、社会貢献、奉仕活動、チャリティー、相互扶助、サービス残業など、ボランティアと言っても、いろいろな表現があるのです。
海外支援や大使インタビューや浮き世絵寄贈や表敬訪問により非日常空間に行って多種多様な価値観が生まれます。
多種多様な価値観が沢山あった江戸文化に沢山芸術も生まれて品性も向上したのです。
助け合いの心と豊かな生活。またお金が無くてもかなり豊かな生活環境だったのです。
周りの人を助ける精神をもともとある日本民族が、近隣諸国に支援して来たのを観察すると、現代版、江戸っ子が形を変えて見る事ができます。
家族親戚近所の相互扶助等、アジアでは何処でもあります。
今は特に必要になって来たように感じます。
そういう訳で余談にはなりますが、「教育は紙芝居では難しい」を書き添えます。
戦後の教育 特に明治以降の教育は戦争教育になったのです。
想像力の遮断 情報の遮断 家族仲間意識の遮断 自然との遮断により、戦争は正しいとか、戦争でも人殺しじゃないの? とか考えてはいけない教育をするのです。
とにかく、敵国は酷く鬼だから容赦はするな! と教えるし、迷わず敵を全滅する兵士、戦士を作る教育が必要だったのです。
戦争が経済戦争に変わっても教育は変わらないのです。
企業戦士を作る教育になっただけです。
グリーンベレーの教官でさえ、つい最近までそういうプログラムを多くの若者に叩き込んでいました。
ただし、情報過多の時代では若者に通用しなくなりました。
いくら短期的に情報を遮断して企業戦士としての目的を叩き込んでも、すぐに会社の目的、組織、企業の利益と解り、自分の目的とリンクしているか、また家族や仲間と過ごす大切な時間とのバランスを自ら取り戻し、すぐに我に帰る訳です。
昔ながらの企業戦士は会社を辞めると、目的を失い、人生の目的すら自ら考えない為、多くの人達は命を失う。派遣を切られた!職を失った!失業した→だから解らない!となり、富士山の樹海に行くのです。
ある意味で教育方法に問題があるとしか思えません。
逆に今の若者のほうが、就職活動をしても、たとえ就職先が見つからなくても、自分の人生をしっかり探しながら、生きて行く視野があるように思います。
インターネットの普及かメル友の普及により、気軽に相談ができて、沢山の価値観を入手できるようになったのです。 ある意味で昔ながらの人達より、生き抜く知恵を探す手段が向上してるのです。
つまり、若者の精神的というより情報の入る、または相談できる環境が変わっているのです。
それなのに、学校教育も企業教育も40年前からアプローチが変わらないのです。
確かに道徳や精神や志等、普遍的な価値観は学んで欲しいと思いますが、大事な事はアプローチを変えないといけないと言っているのです。 時代は紙芝居ではアプローチしても子供が興味深く見ないのは当たり前です。
いまだに紙芝居的なアプローチ研修が目立ちますね。
教育内容そのものより、教育のアプローチを考える事に手抜きをしないように、親も企業も考える時代が来たように感じます。
その時にアジアヒューマンサポートで体感して、身に付けた経験者が道案内を手助け出来れば、幸いです。
以上、「経済戦争の終わりに、見直される江戸文化」と「教育は紙芝居では難しい」でした。
飛来 政暁 |